オフィシャルブログ official blog

カテゴリー: 山(想い)

ご先祖様をたどる旅 おばあさんのはとこ編

足立がご先祖様を辿るシリーズ。
前回も少し書きましたが、昨年お墓参りをしていて偶然親族の方にお声がけをいただきました。それがきっかけでしばらくお会いできていなかった伯父さん(父のお兄さん)とお会いしていろいろお話を聞くことができました。今回はお墓参りの時にお声がけいただいたおばさまのご縁で河内長野へ。

 

そのおばさまは父が幼いころよく会っておられたとのことでした。今回は河内長野の老人ホームに伺ったのですが、そこにおられたのはなんと御年98歳のおじいさん。お話を伺っているとその方は私の祖母のはとこ(祖母の祖父の兄弟の孫)にあたるそうで、祖母が小さいころに一緒に育ったそうです。その方より7つ上の祖母に草摘みやブランコで遊んでもらったことは95年前の事だがよく覚えている、とのことでした。

kakeizu

ちょ、ちょ、ちょ、95年前ってどんなけ( ゚Д゚)そこから祖母の父、私からすると曽祖父にあたる方のお話も。身長が2m近くありかなりの酒豪だったようです。そのさらに上の話になると登場人物に富岡鉄斎という名前や田健治郎という名前も飛び出し、もはや歴史物語。明治生まれの祖母の祖父母の時代は幕末。おそるべし。

 

祖父は大阪工業大学の前身の学校で電気を学び、末っ子だったこともあり資格を生かして満洲へ。真面目で誠実な方だったそうで、仕事がうまくいき、妻を探しに地元丹波へ帰ったところ祖母との縁談がなったとのことです。祖母が足立家の本家筋。昭和16年の祖母の結婚式の際の写真もいただくことができました。

伯父さんが一緒に行ってくださったのですが、長女のお宮参りのときの写真もくださり若いころの祖父母の顔を始めてみることができました。父や兄にそっくりなような気がします。鉄道会社で働いていたものの敗戦。なんとか引き揚げて父を含め4人の子供を育て上げられました。末っ子である父の出産についてかなり悩まれたそうですが無事生んでくださいました。それがなければ今の僕がないと思うと、ありがたい話です。

 

98歳の僕の祖母のはとこ、最後には詩も吟じてくださり、また思い出すこともあるだろうし話したいこともいっぱいあるからまたおいで、とおっしゃってくださいました。また時間を作って是非!

ご先祖様と繋がる

去年、祖父母のお墓参りをしていると、突然声をかけられました。その方は父親の従妹にあたり、声をかけてくださったとのこと。僕はその方の存在を知らなかったのでとても驚きです。その方もご親族のお墓参りに来られていて、その偶然にさらに驚きました。

 

祖父母とは小さい頃にしか会えなかったので、どんな方だったか知りたいなぁとずっと思っていたので祖父母を知る方や足立家のルーツを聞きたいという話をすると、よく知っている方がいるから今度おいで、とおっしゃっていただきました。

 

そのご縁で今日数年ぶりに伯父さんを訪ね、祖父母のことや父のことも聞くことができました。家のことを意識してお話ししたのは初めてでとても素晴らしい時間でした。

 

家のことを意識し始めたのは数年前から。そのきっかけは歴史。
政治家になることを決めてから、歴史を学びました。

 

なぜ歴史か。

 

学生にも伝えるのは、就職活動をする際、まずするのが自己分析。自己分析は自分のこれまでを振り返ること。自分の未来を決めるにあたり、まずは自分の過去を知る必要があります。それは国や自治体にとっても同じこと。

政治家は未来を描く仕事でもあります。そのためには国や自治体の歴史を知る必要があります。そして国の歴史を学ぶなかで、自分の家の歴史についても思いが至るようになりました。しかし思いが至るようになった時には祖父母は亡くなっており、父親に尋ねても祖父は寡黙だったのでありあまり知らないとのこと。その状況から今回急展開。祖父の父親のそのさらに上の方々のお墓参りもできることになりました。ありがたいことです。

 

自分の親は2人、祖父母は4人、曽祖父母は8人
10代さかのぼると1024人、
20代さかのぼると104万8576人
30代さかのぼると10億7374万1824人
ここまでくるともうどんなけ~、というくらいの数ですが、このご先祖様が1人でも欠けていると僕は存在していなかったので、すごい奇跡なのだなぁと思うのです。そのこと自体に感謝をささげる。僕が死んで、5代あとくらいの子がお墓に挨拶にくるとうれしいだろうな~と思うので、今度僕が行ってきます。3代より前のご先祖様のお墓。

 

ちなみに足立といえば丹波。丹波といえば足立。というくらいみなさんのお近くの足立さんもほとんど丹波出身のはず。もちろん僕も。是非みなさんもルーツについて意識を持ってみてください。

メメント・モリ

5年ぶりくらいに母校に行ってきました。目的はラクロスのOB戦。ラクロスも4年ぶりくらい。

image

グランドが人工芝生になっていて、とてもいい練習環境。ちなみに六甲台のグランドは冬は凍ります。本物の六甲おろしは颯爽ではなく、凍えます。

 

大学生活のすべてを捧げたラクロスですが、すべてを捧げただけあって本当にいろんなことを学ばせていただきました。

 

試合が終わり、歩いて帰ったのですが懐かしい光景がいっぱいで、いろいろ蘇ってきました。

 

その中でも一番大きかったのが、19歳の5月に事故をした道路。自分の不注意と身勝手さでたくさんの方に迷惑をかけてしまい、自分の命も落としかけた事故。

 

あれからもう11年も経つのか、と思います。あの経験は自分の死生観を大きく変え、人生も変える経験でした。あれがなければ政治家を目指すこともなく漫然と生きていたのではと思います。

 

ドクターカーで運ばれている車内、お医者さんに「僕は死ぬんでしょうか?親に本当に申し訳ない」と言っていたのを覚えています。

 

次に気づくとベッドの中。目が覚め手足が動くことを確認し、生きていてよかったと、心から感謝しました。

 

それまでの僕はあまりやる気もなく周りに対して不平ばかり言っていたような気がします。

 

こんな僕でも奇跡的に生き残ったのだからなにか役目があるはずだと、スキマスイッチの全力少年がヘビーローテーションだったFM802が流れる、重篤の患者さんが入る病室で考えていました。

 

また、人はいつ死ぬかわからない、ということを身体でわかった経験でもありました。

 

せっかくの人生なんだから思いっきり生きよう。

僕は髪の毛をよく短くするのですが、その時に剃り込みのようなものがあります。それは当時の手術の痕。ぼくにとってのメメント・モリ。死を意識するから生が意識できる。

改めてそんなことを考えることができたラクロスのOB戦。

1 2 3 4 5 6 7 8 22

copyright © 足立ノブカツ all rights reserved.