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カテゴリー: 山(想い)

31歳になりました

5日に無事31歳を迎えることができました。たくさんの方に仲良くしていただいたり、一緒に活動していただいたり、可愛がっていただいたり、お支えいただいたり、応援していただいたりと、周りの皆さんのおかげで本当にありがたい毎日を送らせていただいております。この感謝をパワーに変えてもっともっとたくさんの方にお役に立てるよう働いていきます。

さて、歳を重ねるたびにその歳のテーマを決めているのです。
例えば
28歳のときは「同年代の友達をいっぱい作ろう(同年代のネットワークを拡げよう)」
29歳のときは「自分の限界を打ち破ろう」
30歳のときは「基礎をしっかりと固めよう}
といった感じで、これを決めておくとおもしろいことにそのとおりに進んでいくのでお勧めです。

31歳の目標は
「足立、爆発」です。さらに活動の幅を拡げていくとともに新たなことにどんどんチャレンジ、そしてもっともっと発信力をつけて、「最近足立君爆発してるね~」と言われることが目標です。

今後ともよろしくお願いいたします。

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同僚議員はライバルであるけど敵ではない件 その3

市長与党という枠組みを作らずに二元代表制のあるべき機能を議会が果たすための環境づくりの手法ですが、ずばり議員が「そのこと」を理解する。ということに尽きます。あるべき議会像というものについて、それは各自治体によって異なるものですが、それを共通理解としてすべての議員がもっておく。完全一致とはいかなくとも、方向性について共通認識をもっておく。そのことに尽きると思います。

 

前任期の4年間、議会改革特別委員会に所属して1年間は委員長も務めさせていただいた経験から、なによりそれが大切だと実感しました。例えば議論のペースにしても、私は話を詰めるために週1くらいで集まってもいいという認識ですが、月1でも多いと感じる議員もおられます。私から見たらその人が特殊に見えますが、その人から見ると私が特殊に見えるわけで。その溝を少しずつ埋めていく、そのコツコツ感が大事です。

 

それができると、可能性を感じたのは百条委員会。市長の不祥事に対して各会派それぞれ思惑はあったものの、調査という明確な目標の中で会派を超えたまとまりがたしかにそこにはありました。様々な議案でもそれをやればいいじゃん、と思うのです。

 

議会基本条例とかの話もありますが、個人的にはそれよりも空気感こそ大事だと考えます。条例作ってそんな空気になりゃあ苦労はないでしょうが、うちの議会のメンバーだと、そんなものがなくてもできるはず。

 

私は吹田市議会の在り方に対して理想を持っていますが、それとは異なる理想をもっている議員や、まだ理想を持てていない方や、そもそも理想を持つ必要がないと考えている人もいるのが議会のおもしろいところ。

 

議案に対してや、市が抱える課題に対して、「うちの支持層はこうだから、こうしたいんだけどな~」とか「これ実現するためにちょっと協力してくれない?」といった形で会派を超えてざっくばらんに話ができる環境ができれば、アルバイトを含めて5000人規模の市長部局に、議員36人と20名弱の議会事務局が対抗できる状況になっていくはず。特別委員会での提言の取りまとめなど、徐々に空気はできつつあります。議員ではなく議会という意識をもって市長に牽制をかけていく。それが大事です。

 

だから選挙は戦うけれども、議員になった瞬間からは味方だという意識を持てるといいなぁと。今回の勉強会もその第一歩です。自分が動いて未来を創っていく。そんなお話でした。

ご先祖様をたどる旅 おばあさんのはとこ編

足立がご先祖様を辿るシリーズ。
前回も少し書きましたが、昨年お墓参りをしていて偶然親族の方にお声がけをいただきました。それがきっかけでしばらくお会いできていなかった伯父さん(父のお兄さん)とお会いしていろいろお話を聞くことができました。今回はお墓参りの時にお声がけいただいたおばさまのご縁で河内長野へ。

 

そのおばさまは父が幼いころよく会っておられたとのことでした。今回は河内長野の老人ホームに伺ったのですが、そこにおられたのはなんと御年98歳のおじいさん。お話を伺っているとその方は私の祖母のはとこ(祖母の祖父の兄弟の孫)にあたるそうで、祖母が小さいころに一緒に育ったそうです。その方より7つ上の祖母に草摘みやブランコで遊んでもらったことは95年前の事だがよく覚えている、とのことでした。

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ちょ、ちょ、ちょ、95年前ってどんなけ( ゚Д゚)そこから祖母の父、私からすると曽祖父にあたる方のお話も。身長が2m近くありかなりの酒豪だったようです。そのさらに上の話になると登場人物に富岡鉄斎という名前や田健治郎という名前も飛び出し、もはや歴史物語。明治生まれの祖母の祖父母の時代は幕末。おそるべし。

 

祖父は大阪工業大学の前身の学校で電気を学び、末っ子だったこともあり資格を生かして満洲へ。真面目で誠実な方だったそうで、仕事がうまくいき、妻を探しに地元丹波へ帰ったところ祖母との縁談がなったとのことです。祖母が足立家の本家筋。昭和16年の祖母の結婚式の際の写真もいただくことができました。

伯父さんが一緒に行ってくださったのですが、長女のお宮参りのときの写真もくださり若いころの祖父母の顔を始めてみることができました。父や兄にそっくりなような気がします。鉄道会社で働いていたものの敗戦。なんとか引き揚げて父を含め4人の子供を育て上げられました。末っ子である父の出産についてかなり悩まれたそうですが無事生んでくださいました。それがなければ今の僕がないと思うと、ありがたい話です。

 

98歳の僕の祖母のはとこ、最後には詩も吟じてくださり、また思い出すこともあるだろうし話したいこともいっぱいあるからまたおいで、とおっしゃってくださいました。また時間を作って是非!

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